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2020.08.17 / 特別インタビュー

代表取締役 山田 徹 特別インタビュー

青春のすべてをかけていたラグビーとの決別。36年ぶりに邂逅したある男との奇跡。成功と失敗を重ね、挫折から希望を見いだし前進してきた新社長が、自身の半生を辿りながら、土木業界の変革という新しい挑戦を語る。

インタビュアー、文:シギー吉田

 

この会社の社長になった経緯と意気込みをお教えください

なぜ土木会社の社長を引き受けたのか、とよく古い友人から質問されることがあるのですが、それは土木業界が変革を求めているからです。それはイコール、私がこの会社に求められていると感じました。私の人生も変革の繰り返しでしたから。

高校時代はラグビーに熱中していて全国制覇を経験、大学に進学後も2年生で強豪チームのレギュラーに選ばれるなど、順風満帆な選手生活を送っていました。私のポジションは最前列でスクラムを組む縁の下の力持ち。私は青春の全てをラグビーにかけていました

しかし高3の春、ある事故をきっかけにスクラムを組むのが怖くなってしまったんです。高校日本代表選考に繋がる合宿で、スクラムの練習中、私と組んでいた他校の選手が、首の骨を折るという大事故を起こしてしまいました。当時先生や仲間、両親は私のせいではない、単なる事故だ、と慰めてくれましたが、私は今でいうトラウマを心に抱えてしまいました。

負けん気の強かった私は、自分のそんな弱みを誰にも見せることができず、二十歳の時に、ラグビーの世界を後にしました。その後、30年以上、ラグビーの仲間には会わず、テレビで試合さえも見なくなりました。その後あるヨットのセーリングチームに所属し世界中を放浪。90年代後半にITと出会い、友人たちとIT会社を創業、その後ヘッドハンティングでクレジット会社へ転職。また出向という形で、大手量販家電の常務を経験したり、自分の会社を立ち上げたりと、いつもゼロになっては立ち上がり、また前に進む、常に自分自身を変革させながら歩んできた人生でした。

2年前、私の人生にターニングポイントがありました。高校時代に私が怪我をさせてしまった男と運命的な邂逅をしたのです。彼は手足に障害が残り松葉杖をついていましたが、プロのカメラマンとして胸を張って生きていました。本当に嬉しかった。互いの人生を語り合い、36年の空白を埋め、今ではかけがいのない友人の一人となっています。昨年は、ラグビーワールドカップで日本代表がスコットランドを破り、決勝リーグに進んだ歴史的な試合を一緒に観戦しました。

そんな折に、声をかけていただいたのが、今回の仕事です。何の躊躇もなく引き受けさせてもらいました。成功と失敗、挫折と希望、それらを身をもって学び、行動してきた自分の経験が生かせる新しい挑戦だと感じたからです。ビジネスマンとしての私のキャリアの終着点がここであり、ここにたどり着くために、今まで経験を重ねてきたと思っています。”50代で再びラガーマンに戻り試合に臨む”、今はそんな気分です。迷いなく”前へ”進みます。ご期待ください。

36年ぶりに邂逅した二人。シギー吉田の友人で、この2ヶ月後に、日本人としては41年ぶりに世界報道写真コンテストで大賞を受賞した報道カメラマン、千葉康由氏が撮影。2020年2月

 

「⼈類の叡智を結集し、地球という星を開拓する」、このスローガンに込めた思いをお教えください

ある職人さんと一緒に車で移動していると、「この道路は何年に私がやった工事なんですよ。あっ、あの橋は何年に…」と次々と嬉しそうに説明してくれたんですね。そこには確かに彼らが額に汗を流してつくり出した道路や橋があるんですが、私は今までそんなことを気に留めず、道路を使っていたし、橋を渡っていた、と気づいたんです。

昔、テレビCMで、土木に”地図に残る仕事”というキャッチコピーを使っていた会社がありました。職人さんは照れくさいから自分からはそんな言葉は言わないと思いますが、まさにそこに「職人としての矜恃」があると思ったんです。我々が普段何気なく使っている道路や橋は、職人さんたちが継承してきた人類の叡智の結晶なのです。

それと「地球という星を開拓」という言葉は、少々大袈裟ですが、私は地球という星に住む以上、偉大なる自然を畏れ敬い、尊重しなければ我々人類に未来はないと思っています。ですから山や森林などの自然を破壊して、人間の利便性の追求だけで自分勝手に地球を開拓しようという意味ではなく、人類が生きるために必要なものを開拓させてもらうという謙虚な気持ちが大切だと思うのです。

例えば、東日本大震災などの大地震や台風などの未曾有の自然災害は、我々が想定していた以上の力で人類が造ったものを破壊し、甚大な被害を出しました。土木には、自然といかに折り合いをつけながら我々が生き残っていくかという「人類の永遠のテーマ」が課せられているのです。こうした自然災害で破壊されたものを修復するのも我々の仕事ですし、再び同じような大きな被害が出ないように、老朽化したインフラを補強したり、新しい技術で再構築するのも我々の仕事です。近代の土木の役割は、未開の地を開拓するよりも、こうしてすでにある創造物を修繕、保守管理、アップデートすることが重要になってきています。

 

ミッションの中に「地域社会への貢献」とありますが、どのような貢献をしていくのですか?

土木は、水道や下水、道路といったインフラを整備したり、災害時には皆が日常生活を取り戻せるように復旧作業を行なったりと、地域の人々が安心して暮すために欠かせない仕事だと自負しています。そして、その仕事に誇りを感じています。

しかし地域の人々にとっては、土木工事は単にうるさくて、平穏な日常に余計なストレスを投じる厄介者でもあることも事実です。忙しい通勤時に、道路工事が原因で車がひどい渋滞にハマり、イライラした経験は誰にでもあるのではないでしょうか。そうした状況の下で、地域の人々は我々の仕事を理解し、忍耐強く協力してくださっています。我々は、常にその協力に感謝の気持ちを忘れてはいけない。地域に受け入れていただいて、初めて良い仕事ができるからです。我々から地域へお返しできることはただ一つ、人々が安全安心に暮らせる妥協のないものづくりを続けることなのです。

また我々のミッションを遂行させるためには、パートナー(協力会社)との連携が大切です。一人ひとりの社員が常にプロ意識を持って高い次元の仕事に挑戦することが必要なのです。先ほどの交通渋滞の例で言えば、パートナー(協力会社)から来ていただいている警備員の方々には、我々の理念、ミッションをよく理解し、笑顔で心のこもった的確な交通誘導を行なってもらいます。その対応でイライラしたドライバーのストレスが少しでも軽減されれば、地域住民の方々の安全につながると思います。弊社の主な業務は、公共事業を受注し、施工管理をすることですが、「ひと⼿間を惜しまぬ妥協のないものづくり」というミッションを皆で共有し目指していけば、必ず地域社会、パートナー(協⼒会社)、ひいては社員、そしてその家族に貢献できる会社になれると思っています。

 

ビジョンに「常に改善を心がけ」とありますが、土木業界にはどのような改善点がありますか?

日本で最もロックな写真家、菊池茂夫氏によるポートレイト撮影

 

現場で働く職人たちは、積み重ねてきた技術と経験を磨き上げ、日々創意工夫を繰り返して作業の改善を行っています。昨日に満足せず、今日に満足せず、明日に満足しない。改善なくして進歩はないのです。土木業界をもっと大きな視点でみると、ICTAI化の波が押し寄せてきています。我々はそのパラダイムシフトを受け入れ、仕事を改善する転換期にもきているのです。

例えば、弊社では新型コロナ禍以前から、WEB会議システム「ZOOM」を取り入れる準備をしていました。1日の作業が終わりヘトヘトになった現場監督が車で1時間もかけて帰社し、ミーティングをする必要はもうないのです。また業務効率化アプリ「SLACK」「Dorpbox」を使い、必要な情報を共有したり、人事・勤怠管理システム「jinjer」を使って、紙ベースの申請を極力抑えるようにしています。今までは、休暇届を出すにも申請の書類を印刷して、手書きで必要事項を書き入れ、ハンコを押して提出。社長がハンコを押して承認するのを待つという手順を行っていました。全く意味がありません。スマホで申請すればいいんです。

人と人のアナログな付き合いは大切ですし、否定するつもりは全くありません。効率化しても問題ない業務は徹底的に効率化していくつもりです。時代は間違いなく、そちらの方向に向かっているのですから、土木だから仕方ない“土木を知らないから”という既成概念を破り、業務改善を推進していきます。こうして仕事の「見える化、共有化」を進めることは、業務効率を上げるだけではなく、安全面でも重要な意味があります。今まで工事現場は、現場監督だけで完結していました。何か起きた時に会社全体で、素早く「状況が確認でき」「情報が共有でき」、助け合える仕組みづくりを進めていきます。今後は、監視カメラなどを導入し、現場を遠隔で常にモニタリングし記録を残すことで、さらに現場の作業従事者達の安全管理を高めていきたいと思います。

 

コンプライアンスという面で、土木の現場は昔とどのように変化してきましたか?また多様性というのは具体的に何を指しているのですか?

職人さんの経験則からくる安全管理がある程度許される時代も以前はありました。今は法令に基づいた安全規則を徹底的に遵守することを工事施工会社は求められています。それによって安全面、衛生面が格段に向上し、重大事故が減っています。クレーン等安全規則では、作業中の立ち入り禁止区域や作業が可能な風速などが、こと細かく記載されているのです。

今、工事現場では女性や外国人の姿が目立ってきました。昔は、土方の仕事というとまず思いつくのは、「きつい、汚い、危険」の3Kに加えて「かっこ悪い」の4Kで、男が働く肉体労働の世界でしたが、今は違います。大手ゼネコンでは、管理職や現場監督として活躍する女性が現れました。その背景としては、土木や建設現場の人手不足という側面もありますが、社会や人々の価値観が多様化したからです。またICT技術が進歩したことで、以前のような危険な作業や力仕事が減ってきて女性が進出しやすくなったという理由もあるかもしれません。

時代の変化とともに、土木業界が多様性を求めているとも言えます。私自身がその良い例です。私はITや金融業界での経歴をかわれ、4年間、大手土木会社の業務改善をやりましたが、現場工事からキャリアを積んだ、いわゆる”叩き上げ”の社長ではありません。しかし、会社を経営するという原理原則は一緒です。私の仕事は、各セクションのプロを束ねて、経営判断をすること。働きやすい環境を作り、会社に利益をもたらすこと。もちろん”土木を知らない”と逃げるつもりはなく、日々学び、社員と一緒に汗をかいて会社を変革していきます。

 

今後、どのような人材を必要としていますか?

この会社にきてつくづく感じるのは、「土木は人である」ということです。ICTを駆使して、どんなに素晴らしい変革をしても、それを活用し、ものづくりをするのは人なのです。

長期的な経営プランでは、将来、会社を背負ってくれる若い人材が欲しいです。ここまでお話ししてきた業態の変化、多様性、ICT化といった土木業界の大きな変革に柔軟に対応できる若者です。彼らにはまず現場で経験を積み、職人さんからプロ意識を学び、成長してほしい。会社のバリューの最後に「美しく、そして強くあろう」といれたのは、本物のプロほど仕事の仕上がりが美しいだけではなく、身なり、仕草、立ち振る舞いも美しく、かっこいいからです。ひと手間を惜しまず、額に汗を流して最高の仕事をする職人さんたちから、「美しく強くあること」を学んでほしいのです。職人さんもまた、子どもの頃からスマホなどに慣れ親しんでいるICTネイティブな若者から大きな影響を受けることでしょう。こういった化学反応が起爆剤となり変革が動きだすのではないでしょうか。

また退職してまだまだ働ける現場監督に入社して頂きたいです。現場代理人ができる一級土木施工管理技士を持っている社員がいなければ、工事を受注できませんからね。私の仕事は彼らが働きやすい環境を作ることです。先ほどお話ししたWEB会議や監視カメラを駆使すれば、現場監督の肉体的な負担は大幅に削減し、安全に働ける環境が向上できると信じています。柔軟な頭を持ち、若い人々を引っ張っていける老練なプロに期待しています。

今回の新型コロナ禍で、日本だけではなく世界中が危機的な状況に陥りましたが、土木の仕事はあゆみを止めるわけには行きません。感染症の危機に陥っている人類に、いつ地震、津波、河川の氾濫といった自然災害が降りかかってくるかわからないからです。土木業はこれからも「人」が必要な業界です。是非、異業種の方々もこの世界で挑戦していただきたいです。

 

最後にご自身の目標と会社の展望をお聞かせください

一代でこの会社を築きあげた先代の社長が半年前に引退し、弊社は第二創業期に入っています。古くからの社員は、新しい社長、新しい考えが来ることに、まるで黒船来航のような違和感を感じたかもしれません。反発を感じるのは当然ですが、同じぐらいの大きさで、”何かしてくれるんじゃないか”という期待も感じています。

この数ヶ月、私は皆と新しい航海に出るための準備をしてきました。7月からようやく錨をあげ、船の舵を私が切り始めます。安全な航行を続けるためには、しっかりとした航海計画を立て、全ての乗組員を船長の私が把握し、適材適所に配置して的確な指示を与えること、そして”安全管理“”利益を出す”という結果に拘り、信頼を積み重ねることが大切だと思っています。どんな嵐が来ても皆で乗り越えられる最高の会社にしたいと思います。

「今我々がやってることをやっていけば、必ず良い結果が生まれる」、すでにそんな手応えを感じています。弊社には素晴らしいプロフェッショナルがたくさんいて、私が提唱する改善案を、まるで楽しいんでいるかのように受け入れ、実行してくれるからです。この会社の最大の強みは、”柔軟に変化を楽しめる”ところです。

新型コロナ禍で窮地に立たされてる世界経済、破壊された既成の価値観、拡大する貧富の差、疑心暗鬼、差別。今、世界の海は荒れています。そんなウイルスに感染し一変した世界航路へ、一番ワクワクして船出をするのは私自身かもしれません。

 

■湘南推進工業応援カメラマン 

菊池茂夫/写真家

1965年東京生まれ神奈川育ち。1986年STUDIO LOFT/スタジオ青山入社。1988年STUDIO FUN入社。1990年(株)JICC出版(現宝島社)と専属契約。1991年よりフリーランスで活動

音楽をメインに映画、プロレス、格闘技、TATTOO、猫、建築現場を撮影。アルバムジャケット200枚以上撮影。雑誌表紙200冊以上撮影。写真集30冊以上発表。代表作、写真集 「bloodthirsty butchers 青春」写真集 「怒髪天 色あせぬ花」写真集「ROCKER’S  TATTOOシリーズ」映画ポスター bloodthirsty  butchers 「kocorono」アルバム 「SLIPKNOT 9.0:LIVE」シングル「 eastern youth 踵鳴る。」DVD 「THE  DAMNED MGE 25」現在6冊の写真集発表準備中。

https://shigeojones.thebase.in

 

千葉康由/報道写真家

1971年生まれ。大分県佐伯市出身。武蔵野美術大学映像学科卒業後、95年に朝日新聞社に入社。写真記者として多くの連載や記事に携わる。2007年に退職し、フリーフォトグラファーとしてケニアに移る。11年にAFP通信のスタッフフォトグラファーとなりブラジル・サンパウロ支局勤務。13年にリオデジャネイロ支局に異動し、サッカーのワールドカップ、リオ五輪を取材した。17年に再びケニアに移り、現在は同通信社ナイロビ支局チーフフォトグラファー(東アフリカ・インド洋担当)。2020年4月、日本人としては41年ぶりに世界報道写真コンテストで大賞を受賞。

https://www.worldpressphoto.org/collection/photocontest/winners/2020

 

シギー吉田/写真・文筆家 

1964年東京生まれ、栃木育ち。高校時代、ラグビーの練習中に首の骨を骨折するという大怪我を負うも、奇跡的な回復で歩行が可能になった「松葉杖のカメラマン」。1994年にオレゴン大学数学科卒業後、1999年東京原宿で初の個展「ヒッピーin 90S~約束の地にて~」、2004年「365日の色」などの写真展を開催。2001年から和太鼓集団「鼓童」、同じく2001年から伝説のロックバンド「頭脳警察」等の公式カメラマン。パレスチナなどの紛争地域の取材をはじめ、各雑誌等で写真と記事を発表中。専門は米国カウンターカルチャーとITCなどの教育分野、インタビュー。ここ数年、膀胱ガンとの闘病を経験したが、震災後はボランティアカメラマンとして精力的に活動。7歳と15歳の息子がいる。

https://www.flickr.com/photos/shiggyyoshida/albums/with/72157629804115257

 

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